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memoream

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「何とかこの作品世界にコミットすることはできないかなぁ。。」
「大丈夫?}

「うん。でもこの作品から何かが聞こえる気がするんだ」
「・・・(それは、正気ではないのでは?)」

「さっきも言ったこのフラクタルな世界はそこに入らないとわからないと思う。」
「作品世界に入るってことは、意識としてそこに没入することでしょ。触るのも大事かもしれないけど、視覚に訴えるものなんだからよく見ることから始めればいいんじゃない。」
「うん、それはそれでとても正しいと思う。けど、これはその世界に入り込むように要請されているんだよ。」
「・・・(あ、断定になっちゃった。なんかまずそう)それはそう思う気もわからなくはないけど・・・」

「うん。大丈夫。何か行ける気がする。」
「え!?」

 

【注釈】
絵を見ながら何かが聞こえる、という体験は存外多いのではないか。例えば内なる声との対話だったり。
また絵画など作品と対峙したときの面白さの一つは細部にあるだろう。
特にこの作品は細部の集積ともいえる。
細部は芸術的要素とはかけ離れている事もあるが(傷だったり、埃だったり劣化だったり)それはそれで物質としても芸術作品と対峙しているリアリティとなる。
この時の黒須の状態はもちろんそれを超えてしまってはいるのだが。映画「シャイニング」のラストシーンでもジャックは向こうの世界に行ってしまったかのように写真に収まっていた様に。